摂食障害で死の一歩手前まで そこで感じたライフプランの重要性 (前編)

単なる保険見直し相談に留まらず、コーチング技術も駆使し、
情熱を持って人生設計構築に取り組んでくれる虫鹿恭正(むしかやすまさ)さん。
独特の人生哲学を得るまでには、どのような経験があったのでしょうか。
そしてクライアントに対する思いとは・・・。

肥満から拒食へ、命を削る日々だった中高時代

―ファイナンシャルプランナーのお仕事に進まれたきっかけは何ですか?

私自身、中学・高校時代に拒食症で苦しんだ体験があり、そこから救ってくださったのが、
食べてやせることを提唱されていた料理研究家の鈴木その子さんでした。

「美白の女王」としてバラエティ番組でも活躍された鈴木その子さんは、
実は息子さんを拒食症で亡くされていて、食を通じて人々を幸せにしようという方でした。
自分に当てはめて考えたときに、
お金を通じて人生設計をお手伝いするFPの仕事が天職だと思ったのです。

―拒食症とは、ご苦労されたのですね。

今は合気道もやっていて健康体ですが、90年代、中学の頃は86キロの肥満児でした。
学年対抗の縄跳び大会の練習で、私が飛べずに皆に迷惑をかけてしまった時に、
熱血漢の担任から「集団行動ができない」と決め付けられたのを機に、不登校になりました。
それでも好きな子もできて、卒業の日に告白したのですが、
「太っているから嫌だ」と言われ、食べるのを減らすようになりました。
と言っても最初は、1日8食も食べていたのを普通に3食にしたところ、
すぐに50キロまで減らせました。

でも、もっと痩せねばという強迫観念でしょうか、
食べては戻すのを繰り返すようになってしまったんです。
いつしか体重は36キロにまで激減し、血圧は上が70足らず。

それでも食べられず、点滴でなんとか生きつないでいる状態です。
不登校も続いていて、結局高校は中退してしまいました。
同じように拒食症、摂食障害で亡くなっていく同世代が回りに幾人もいて・・・、地獄ですね。
カウンセリングも10人以上の先生に付きましたが、

それでも食べることに対する恐怖は解消されないのです。

たった3分の叱咤する言葉でスイッチが入り、生きる意欲が戻り始めた

―心の病、ですね。本人にもどうしようもないのですね・・・。

そんな地獄のような状況から救われたきっかけは、母が手にした、鈴木その子さんの著書でした。
当時、美白の女王として一世風靡されていて、起業家としても成功されていましたが、
実は息子さんを摂食障害で亡くされていて、それで食事療法を手掛けられていたのです。
そして、母が思い余って相談の電話をかけた時にたまたまご自身が出てくださったのです。
電話口に出た私に、
「坊主! 騙されたと思って私についてきなさい! 大成功者にしてあげるから!」
と言われました。
時間にして3分、その短い電話で虚ろだった私の心にスイッチが入りました。
17歳の4月24日のことです。

その晩から食べ物を口にし始め、ゴールデンウィークに母と姉に介助されて、
銀座の鈴木その子さんのサロンを訪ねたところ、抱きしめて迎えてくれました。

(鈴木その子さんと虫鹿さんのお姉さまと)

本当にターニングポイントでしたね・・・。摂食障害は女性のほうが多いもので、
男性は珍しかったのもあったのでしょうが、
その後もご自宅に呼んでくださるなど可愛がってくださり、
人生を生きていく上での指導を受けました。

最初の電話でこそ「坊主」と言われましたが、その後はいつも「虫鹿さん」と呼ばれましたね。
私は中学もろくに行かず、高校も中退でしたが、
それでも「人生は80年、2~3年の遅れは微々たるもの」と言われました。

死にかけた経験は、これからの人生で必ず役に立つからと励まされ、
私自身、未成年ながら人生設計を立てて生きていくことの重要性というものを痛感して、
学ばせていただきました。

虫鹿さんの「キャリア(後編)」はこちら
虫鹿さんの「マネー」に関する記事はこちら

虫鹿恭正(むしかやすまさ)さんのプロフィール

愛知県一宮市生まれ。江戸川区在住。大学卒業後、東証一部上場の食品メーカーにて営業職を経験。
現在は大手乗合代理店株式会社グッドウインに所属し、FPとして活動中。
年間300世帯もの相談業務の傍ら、
人生の試練にある人々のV字回復をサポートするライフコーチとしても活動。
人生の夢実現を強く後押しする熱い姿勢が好評を博している。
ファイナンシャルプランナー(AFP 日本FP協会認定)、生涯学習開発財団認定コーチ、日本IST協会公認IAT問題解決学講師。

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