一生お付き合いするお客様の不安を「安心と笑顔」に変えていく

お客様との一生のお付き合いを志すFPの川島元樹さん。明るく真摯なその考えに至るまでには、幼少期からの苦労や家族の闘病を支える生活があったそうです。ご自身がそこから得た気づきのことや、備えるための保険の考え方などを詳しく伺います。

保険の外交員だった母は病に倒れた時、自分の保険が分かっていなかった

―子どもの頃はご苦労があったそうですね

幼少期からシングルマザーで母は生命保険の営業をして、姉と私を育て上げてくれたのですが、私が中学生の頃に病気をして入院となりました。その時に、母は自分の保険の内容がよく分かっていなかったようで、給付金も下りず、生活が本当に苦しかったです。

それで地元の酒屋さんでアルバイトをさせてもらい学費と生活費を稼いでいました。幼少期から面倒を見てもらっていた祖父と祖母、叔父・叔母に迷惑を掛けまいと、アルバイトも高校では週7日入っていて、母を一人で看てくれている姉に仕送りを続けていました。

最近は、核家族が増えご家族でも中々会う機会が少なくなった様にお見受けしますが、親孝行したいと思えた時にできるかは分からないもの。先立たれたり、近くにいなかったり・・・。私自身は親の介護については後悔しかないんです。

まだ学生なのに学費を稼いで仕送りまでして、なぜ自分がという思いもあったため、母を見舞うのも2ヵ月に一度くらいのものでした。

母が亡くなった日のことはよく覚えています。冬の寒い日の明方でした。母が一人で外に出てしまったようで、私のところにも連絡があり実家に探しに行きました。2時間もしてやっと、道の隅で私が見つけたときにはもう冷たくなっていたのです・・・。

親は唯一無二の存在ですし、親孝行はいくらやってもやり過ぎることはないでしょう。忙しくても月に一度会いに行くのでも、電話するだけでもいいので、日常生活の中で親のことを思う時間をぜひ持たれるのがよいのではないでしょうか。後悔しないためにも。

将来の妊娠も考え、子宮頚がん治療を過酷な療法でがんばった妻

―その後、いろいろなお仕事を経て、今の保険の仕事に就かれ、ご結婚もされたのですね。

結婚してまもなく7年目になります。私は本当に妻が大好きで、家にいても手をつないでいるほど仲が良いのです(笑)。明るくてがんばり屋で、自分にはもったいないくらいの人ですが、けんかが絶えない時期もあったんです。

彼女は美容院のプレスやマネジャーとして責任ある仕事に就いていたので夜遅くなることも多く、私が当時はあまり理解がなくて、そんな妻に対して不機嫌になったりもしていたんですね。

仲が戻ったきっかけは、皮肉ですが妻の病気でした。4年前に子宮頚がんが見つかったのです。その闘病生活を通じて、女性が嫁ぐというのは姓も変え、仕事も生活環境も変えて来てくれているのを改めて実感し、仕事と家事の両立に疲弊してしまっていた彼女のことを思いやれていなかった自分に気づかされたのです。

治療は、通常なら子宮の周りのがん細胞を取っていく円錐切除という手術なのですが、がん細胞が広く妊娠の際に流産の可能性が高くなるため、まだ子どものいなかった私たちは別の、PDT(光線力学療法)という新しい手術法を選択したのですが、これがとても過酷なものでした。体が全ての光に過敏に反応するため、半年間は黒い装具や遮光サングラスを身にまとって屋内で過ごし、外出も禁止なんです。特殊な治療を受けるため個室でお金もかかりますし、私に心配をさせまいと気を使って明るく振舞ってくれていたと思います。

ただ、その治療に入る前には、むしろ一度強い太陽光線を浴びておく必要もあったため、彼女の希望もあって海の綺麗な海外に旅行をしました。

彼女も、病気になったのは大変なことでしたが、仕事には100%以上の力を注いでしまう人なので、そういうことでもないと仕事を休むことはとてもできなかったのではとも思います。病気に対する不安はあっても、仕事を休めたことで肩の荷が下りた部分もあったのであれば、不幸中の幸いといえますよね。

(海外にて奥様とのツーショット)

 

―お母様や奥様の病気のことなども踏まえ、サイトの読者へメッセージをお願いいたします。

病気というのはご本人やその家族の生活を、それまでとはがらりと変えてしまいかねないものです。ですから、保険は思い立った時に入っておかないといけないと改めて感じました。病気をした後では入ろうと思ってもだめですし、親孝行の話でもそうですが、気づいた時では遅いんですね。

それを感じた別のきっかけもあって、あるお客様から介護の保障を必要とされているとのお知らせを受けていたのですが、ちょうどその方がお忙しくなられてしまい、ご相談を受けないままに2ヵ月ほど経ってしまったのです。その間にご心配されていた通りといいますか、心不全になられ、ペースメーカーを付けることになってしまわれました。

自分がもっと強く、この保険にとお勧めできていれば、給付を受けて治療に臨まれることができたかもしれませんし、この先の不安を軽くもできたでしょう。それ以来、お客様から何かしらのご不安やニーズを伺った時には、時間をおかず速やかに対応させていただくよう心がけています。

もともと、自分が保険の仕事を選んだのは、一生お付き合いできる仕事だからです。ですから、お客様には保険に入っていただくことそれ自体よりは、ずっと安心して生活していただけるのを目標としています。ですから、お客様にはよく「不安から、安心と笑顔に変えましょう」とお話しているんです。一生付き合えると思える保険の担当者と出会っていただければ、宝物になるでしょう。ぜひ、いろいろなプランナー、アドバイザーの話を聞いてみて、これだという方に出会ってください。

 

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川島元樹(かわしまもとき)さんのプロフィール

幼少期からシングルマザーの母に代わり祖父母、叔母夫婦に育てられ、中学在学中より体調を崩し、介護状態となった母に代わってアルバイトで生計を立てる。以後アパレル販売やジュエリー・高級時計・高級万年筆の販売に従事。その後、外資系保険会社などを経て、2015年6月に株式会社アイ・ティ・コンサルティング入社。

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