子育て、バブル崩壊、リーマンショックを乗り越えて、たどり着いたIFA業界

職場における男女の差別を禁止し、採用や昇給、昇進などの面で男女とも平等に扱うことを定めた、
男女雇用機会均等法が施行された翌年、1987年に新卒社会人として世の中に出た滝田泰美さん。
最初の職場である証券会社から現在のIFA(独立系ファイナンス・アドバイザー)の職に至るまで、
子育ても経ながらのキャリアの変遷とは・・・。

育休制度も整備されていない時代に、仕事と子育てを死に物狂いで両立

―新卒でまず証券会社に入られたそうですね。

1987年に一般職で就職し、大森支店で個人営業に携わっていました。
数年後に、遠隔地への転勤を伴わない総合職に移りました、今でいう、エリア総合職ですね。
結婚・出産をすると女性社員のほとんどは退職して家庭に専念していた時代でしたが、
私は幸い上司から肩をたたかれることもなく、営業の実績も上げていましたので、
辞めることは一度も考えませんでした。
今のように育児休業を使う人などいない時代で、
妊娠期間を含め、3か月で職場に戻れるだろうと上司に言われたので、
とにかくそのとおりにがんばったという感じです。

―前例がないことでもあり、大変なご苦労だったのではないですか?

妊娠中も私はつわりが重くて、一気に5キロもやせました。
お客様からは、病気じゃないかと随分とご心配もいただきましたね。
体調がどんなに悪くても、
職場で心配されて「早く帰っていいよ」などと言ってもらうのが心苦しくて、
平気な顔をして気丈にがんばっていました。
営業数字にもそれまで以上にこだわって、結果を出し続けていました。

出産後は、子育てしながら仕事を続けるために、
ちょうど会社の近くに大田区立の保育園があったので、そのそばに越したんです。
当時の私のお給料は、全てその家賃に消えましたが、
おかげでなんとかペースを落とさずに仕事はできました。
でも、本当に大変だったんですよ。保育園のお迎えの時間が迫っても仕事が全然終わらず、
職場には気づかれないようこっそりと迎えにいって、
更衣室で子どもに静かにしてなさいと言い聞かせたりしていました。

―大変な思いをされながらも、子育てと並行してキャリアを積まれたわけですね。

そうなんですが、バブルが弾けて、証券各社の吸収合併なども起こる中、
このままでよいのかと考えるようになりました。
その頃の金融業界は、
それまであった証券・銀行・保険各社の垣根が徐々になくなってきてもいたのです。
実際、私も証券会社で変額年金を扱っていましたし、
銀行では投資信託の扱いが解禁されていました。
人材も流動的で、一足先にメガバンクに転職していた後輩もいましたから、
私も場所を変えてキャリアアップを図りたくなったんですね。

それで40代で銀行に転職し、個人富裕層向けのファイナンシャルコンサルティングという、
資産運用のご相談にのるポジションに就きました。
カルチャーショックはあって、それまで証券会社だと営業のお電話をかけても、
社名を名乗ると切られることがしょっちゅうでした。
それが銀行だと、切らずに最後までお話をさせていただけるんですね。

ただ、そういうやりやすさと同時に、上司も同僚も長く銀行員としてやってきて、
変動する商品を扱いなれていなかったため、
少し値下がりしただけでもお客様へのご説明に汲々としている姿を見て、
頼りなさを感じるようなこともありました。

それで「半沢直樹」の世界から、4年でまた転職することにしました。

証券、銀行に次いで意欲的に飛び込んだ保険会社で、大恐慌の憂き目に

―次は外資系の生保ですね。

AIGです。証券時代の同期に誘われたこともあり、
話を聞いてみると日本での展望も期待ができそうだったので、
2007年5月、44歳の誕生日に転職をしました。
銀行でAIG商品も扱っていましたが、保険商品の勉強も重ねてがんばり、
翌年には生保と金融サービスの国際組織であるMDRT(Million Dollar Round Table)に入会も果たしたんです。

また、私が生保の世界に飛び込めたのは、
生保の大学院であるアンダーライティング学院の存在を知ったからなんです。
きちんと学べる体制があり、ここで学んでいけば、
保険の仕事を正統に行っていけると感じられたんですね。
1年間毎週土曜に通って卒業後は、生命保険修士会という組織があり、
私も参加してお手伝いをしてきました。
今年には研修部長からついに副会長に任ぜられるまでになってしまいましたが、
いろんな方との出会いの場でもあり、休日の多くを費やして楽しませていただいています。

そのように、保険の世界に入って生き生きとしていたところが、
その時にリーマンショックが起こってしまい・・・。
証券会社のリーマン・ブラザースの破綻による世界恐慌でしたが、同時にAIGショックでもあって、
アメリカ本国ではAIGも破綻寸前まで行ったのです。
それで一気に潮目が変わって、
日本ではアリコジャパンやAIGスター生命、AIGエジソン生命のほか、AIU保険、アメリカンホーム保険など損保も展開して勢いづいていたのが、
予定されていた合併話も頓挫してしまったり、お客様も離れていかれたりと、
環境が一変してしまいました。
それで、やはり元証券に勤めていた当時の上司とともに、IFAとして独立することとなったのです。

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滝田泰美(たきたやすみ)さんのプロフィール

神奈川県横浜市出身。東京都大田区在住。
1987年新卒で証券会社に入社し、その後、大手銀行、外資系生命保険会社を経て、2009年に独立。
現在は株式会社ジートレンドに所属し、IFA(証券仲介業者)および保険プランナーとして活躍中。
証券から保険に渡る豊富な金融知識と実務経験を有し、
若い方からご年配の方まで幅広い層から支持を得ている。
生命保険修士会副会長。

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